メッセージ

2025年3月16日(日)のメッセージ

「恵みに感謝して」

福永暁子

私は、1930年、昭和5年に、現在の中国、当時の満州国大連市に生まれました。今年の12月で 95歳になります。 両親は九州福岡市の出身で、結婚してすぐに大連に渡り、父は南満州鉄道という大きな会社に勤めていました。8人兄弟の長女で、一番上と一番下が男、間の6人が女の子という賑やかな家族で育ちました。

母は結婚前にバプテスマを受けたクリスチャンで、大連でも教会に通っていました。バザーや家庭集会など、忙しく楽しく過ごす母の姿は、子どもたちにイエス様の愛を伝えてくれました。きょうだいで電車に乗って教会学校に通い、夏季キャンプやクリスマス祝会など、思い出がたくさんあります。小学5年生の時に太平洋戦争が始まり、中学1年の終り頃から授業が減っていき、教室で軍服の修理をしたり、畑づくりに出かけたりの日々がやってきました。2つ上の兄は学校で軍人になることを勧められ、海軍兵学校に入学するために広島に移り、残った家族も父の転勤で大連を離れ、教会に通うことも出来なくなりました。

北部の新京市(現在の長春市)に引っ越したあとは、日本本土への激しい空襲のニュースが報じられ、中学生は学校に行くかわりに軍の仕事を強いられました。航空隊の将校が「日本は必ず勝つんだ」と、毎日叫び、私はソ連の気象通信を傍受する仕事をしました。中学校の勉強はできず、心ならずも、モールス信号とロシアの地名を覚えました。1945年8月9日ソ連が参戦し、満州に攻め込んできたため、私たち家族は韓国ソウル近くに疎開しました。大家族なので、現地の鉄道住宅に分散して泊めてもらい、そこで終戦を迎えました。

このまま南下して日本に帰るか、再び満州に戻るか両親は迷いましたが、夏服の着替え以外に荷物を持って来なかったため、とりあえず長春に戻りました。しかし、家にはすでに、奥地から逃げてきた知らない日本人が7家族40人ほども入り込んでいて、家財もほとんど持ち出せず、私たち家族9人は、無政府状態のなか、約1年間、空き家を転々としました。冬になるとマイナス20℃という寒さで、多くの開拓民の、凍死や餓死を見ました。その頃の細かい記憶は薄れましたが、今考えると現実とは思えないほど過酷な日々でした。15歳の私を筆頭に、7人の子どもを守りながら生き抜いた両親は、どれほどの苦労をしただろうと思います。

終戦から1年あまりしてから、貨物列車を乗り継ぎ 1ヶ月かけて辿り着いた港から、ようやく日本に帰る船に乗る日が来ました。アメリカの貨物船の船底に、横になるスペースもないほどたくさんの引揚者が乗り込んでいました。検疫の足止めを経て、やっとの思いで上陸した福岡港で、兵学校から戻っていた兄が出迎えてくれました。兄は、生まれたばかりの弟を含めて 9人家族が、1人も欠けずに戻って来られたことに驚いて喜んでくれました。全員無事だったのは大きな恵みでした。

兄はのちにバプテスマを受け、一昨年に召されるまで、母と同じバプテスト浦和教会会員として過ごしました。帰国後、病気をしたり就職をしましたが、再び教会に導かれたのは、1951年に結婚した夫の母(福永津義)がキリスト教の教育者だったからです。移り住んだ藤沢から、当時いちばん近くだった平塚バプテスト教会に通い、1958年9月24日に、長尾三二牧師からバプテスマを受けました。

1962年に渡辺邦博牧師によってこの藤沢の地に伝道所が出来たこと、渡辺先生と夫が西南学院の同級生であったこと、その2人が駅前の書店で偶然に再会したこと、すべてが神様の不思議な導きでした。新しい教会を知ってもらうために、鵠沼公民館で開いた「福音と音楽の夕べ」や、幼児教育「めぐみ園」の開園、会堂や教育館の新築、増築、また、テキサスのアマリロやダラスへの伝道旅行に参加したこと、バプテスト世界大会やアジア大会、聖地旅行など、思い出しますと次から次へと止めどがありません。

娘の朋子は 1966年 9月にバプテスマを受け、72年にこの教会で結婚式を挙げました。2人の孫と、教会の修養会やキャンプに共に参加して楽しく過ごしたことも思い出されます。その頃は教会に子どもたちも多くいて賑やかでした。下の孫陽平が、50もの聖句を暗唱していて、みんなの人気者になったこともありました。2人とも夫と同じ、指揮者になりました。上の孫の大輔は、藤沢福音コールの指揮者として、毎年、市民クリスマスに参加しています。

私は、2013年に心臓手術、2023年に人工関節の手術をしましたが皆さまの祈りに支えられて生かされています。教会の兄弟姉妹と共に、この愛する藤沢バプテスト教会の歩みを続けることができるのも、神様の恵みであることを感謝しております。恵みに応えるには、先ず、私自身を神様の喜ばれる捧げものとして仕えること、1人でも多くの人に、みこころを伝える働きを続けること、「そのためにどうぞ力を与えてください」と祈り続けることだと思っています。

「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が 1人も滅びないで、 永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)  

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