2025年4月6日(日)のメッセージ
弟子たちの足を洗う
「それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」
(ヨハネによる福音書 13章5節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
新年度が始まりました。この日、学校や大学を卒業して新しく社会人になる人も多い事でしょう。また会社や組織の中で新しい部署に移ったり、新しい役割を与えられた人もいらっしゃると思います。来たいと不安定、緊張感が入り混じった新しい朝、新しい舟出をするお一人おひとりを心に覚えてお祈りします。
今日は有名な洗足の記事ですが、「足」というものは、生きることそのものであり、自らの進むべき意志や自由そのものであり、人間にとって本当に大切なものであるということは、言うまでもありません。事故・病気などで歩くことが出来なくなってしまった時、もう一度精神的に立ち上がって生きていくには、そうとう時間がかかるものでしょう。「もう歩けない」と知った時の寂しさがあります。
最後の晩餐の後、イエスさまは弟子達に最後のメッセージとして、この足を洗い合いなさいということを、この「足」というものの本当の意味を伝えられたのではないかと思うのです。この「足」を使って、私は一緒にもう歩けないけど、これからはいつも一緒だよ。だかりお前たちはこれから伝道の旅に出るのだよ。自分を愛して大事にしなさい。と。イエスさまはこれから来る別れを知りながら、愛する思いで自らの手で愛する弟子達の足を洗って、拭ったのではないかと思うのです。
あなたの「足」を主は祝福されます。私たちもキリストの愛を知り、その愛を持って歩む者となりましょう。それがイエスさまが1番喜ばれることですから。