2025年5月25日(日)のメッセージ
走り抜く信仰
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」
(フィリピの信徒への手紙 3章12節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
本日の午後はチャペルコンサートで菊地るみ子先生をお迎えしていますが、主は一人一人に賛美を通して、キリストと繋がり、他者とも共有しながら、一緒に喜んで仕えるように招いておられます。私たちの信仰を強め。この地に福音が広がりますように。
そして本日のタイトルは「走り抜く信仰」です。私たちの最終目標は天の国であり、ルカ福音書では「天の国はただ中にある」として、天と地の間で神の国の出来事が起こっていると定義します。そして私たちの信仰は「途上にある」と強調します。まだわたしは完全な者にはなっていないからだ、とパウロは言います。「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」、このひとつのこと以外に、ただこのひとつのことを根拠にして、私たちも、パウロと同じように走るのです。神様の「わたしは、あなたと共にいる」という声を選び取って聞き、その声に従う意志を握りしめて走り抜くのです。
信仰者は「走り抜く信仰」にこそその真の姿があるように思います。「わたしたちの国籍が天にある」(20節口語訳)と言えるには、「わたしたちはイエス・キリストの恵みによって救われる」必要があるのです。その中には、先に天国に行かれた愛する神の家族の存在があります。彼らと神さまの温かい眼差しを受けながら、これからもこの地で、沢山の恵みと祝福を受けながら、キリストの福音を伝えて、愛する皆さんと目標の地を目指して共に福音を伝えていきたいと思います。