2025年6月1日(日)のメッセージ
つながる喜び
「頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」
(コリントの信徒への手紙一 12章22節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
「何もできなくてゴメンナサイ」とある信徒と電話をすると最近よく言われますが、そういう時は、「こうしていつも皆さんとキリストとつながる事ができて感謝です!沢山励まされています。お互いに祈りましょう!」と伝えています。
人間が交わりの中で共に生きてゆくときに、一人ひとりの違いや能力を否定的に見つめるのではなくて、特に弱さという特徴を大事に積極的に受け入れ合うときに、それは単なる弱者への配慮ということではなくて、それが「共同体全体の豊かさ」につながる事に気付きます。私も皆さんお一人お一人にも、苦手な事や色々な弱さがあると思います。でも、そんなあなたが必要なのです。人間の体にはいろいろな部分があります。目があり、耳があり、手があり、足があります。心臓があり、脳があります。決して目だけではないし、足だけではありません。人間の体にとって、一つ一つの部分に違いがあること、「多様」であることはとても大切なことです。
パウロは体の仕組みを教会に当てはめて考えて、みんなが色々な役割を担いつつ、キリストの体なる教会を形成しているのだと語ります。人それぞれ神さまから異なる賜物を与えられています。不必要な人は誰一人おらず、他と比べて弱く見える部分(人)がかえって教会には必要なのです。
教会は「能力」や「結果」ではなく、神さまの「恵み」や隣人の「存在」に目を向けてキリストに繋がり、あなたらしく主に仕えることが一番肝心なのです。今日もまた教会の実が豊かに実りますように。