メッセージ

2025年6月15日(日)のメッセージ

主を待ち望む喜び

「我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。我らの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。」
(詩編 33章20,21節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

今日のテサロニケの手紙で、パウロは自分がかつて、テサロニケで受けた迫害を思い起しつつ、テサロニケのクリスチャンたちにイエスさまの愛を語りながら、信仰の道を歩むように励ましています。パウロは聖霊(神さまの霊)に導かれ、「いつも喜びなさい」との勧めますが、しかし、どんなに考え方を変えようとしても、喜べないことがあまりにも多すぎるというのが「現実」ではないでしょうか。どうして、こんな理不尽なことが起こるのだろう、神さまは本当にいるのだろうか?

旧約聖書の詩編では、こう告白しています。
「我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。我らの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。」(20,21節) この詩の作者は、喜んで、主を待つと告白しているのです。神の救いを信頼して待ち望んだ、その信仰の通りに救って欲しい、ということ。神さまが必ず、待ち望んだ通りに救いを与えて下さる、という「積極的な祈り」です。

神さまを信頼し、待ち望む時、それは必ず喜びに変えられることを信じれば、わたしたちは「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」(テサロニケ一5:16-18)という信仰を持ち続けることができるのではないでしょうか。今日もあなたを信頼してキリストと共に人生を歩みます。

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