メッセージ

2025年8月3日(日)のメッセージ

見えない主を信じる

「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。」
(申命記 5章9節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

「あなたはいかなる像も造ってはならない」(8a)
偶像礼拝とは、日本では、仏像やお地蔵さんに手を合わせる事を連想しますが、しかし「異教」の像だけが偶像礼拝ではありません。自分の心を占めている神以外のもの、ある   いは逆に神さまを都合良く引き寄せてしまうことが私たちにはないでしょうか。

「こうあるべきだ」と私たちの基準で物事を判断する時に、それは偶像になりえます。
「神とは、教会、聖書、牧師、奉仕とはこういうものだ」と思い込み、その決めつけが頭を占めるならば、それは私たちの偶像になります。私たちは偶像をつくりやすいものです。すなわち、偶像礼拝とは、目に見える異教の像だけでなく、私たちの心の中で神以外のものを第一にし「こうあるべきだ」とすることです。

そこには色々な誘惑もありますが、わたしたちは本当に第一のものを第一にする信仰、
「わたしをおいてほかに神があってはならない」という十戒の第一戒をいつも心に刻んで「礼拝」しなくてはいけないということです。そうすれば自ずと今日の聖書の第二戒、「いかなる像も 造ってはならない」という戒めを、守ることができるようになるのです。

 

「見えない主」(タイトル)イエス・キリストによって、私自身の偶像の罪から「生ける真の神に」立ち返ることが出来ますように祈ります。そして神の大きな愛が私たちを励まし、力づけ、私たちをまことの「礼拝者」とさせてくださいます。そこから信仰を始めましょう!

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