メッセージ

2025年8月24日(日)のメッセージ

主の名をみだりに唱えるな

「神よ、われらはあなたに感謝します。われらはあなたのみ名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。」
(詩篇 75章2節:日本聖書協会 口語訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

「みだり」という言葉には「悪を行う」「偽り」「虚しい」などの意味をも含んでいて、悪を行うために、あるいは、偽りや虚しいことのために、神の名を持ち出すことや、使うのを禁じるということです。それは神さまのお名前を傷つけることであるからです。名前を傷つけるとは、公にその名誉を汚すということになりますから、神の名を汚すことによって、神の民であるイスラエルの人々、彼ら自身が物笑いになるばかりか、神さまも物笑いになります。

「主の名をみだりに唱える」ことは、単に神さまの名前を口にする、というだけのことに止まりません。それは、神さまの名前を勝手に口に出し、神さまを自分の支配下に置き、自分の思い通りに動かそうとすることなのです。名前を唱えることによって、自分の思い通りの結果を引き起こそうとすること、そういう目的に利用してしまう、要するに、わたしたち人間が神さまの力を利用するとなれば、わたしたちの方が神さまより上に立っていることになります。むしろわたしたちは、「神の名をみだりに唱える」ことではなく、「神の御名をほめ賛えることが必要です。
「神の御名を賛美してわたしは歌い、御名を告白して、神をあがめます」(詩篇69:31)

今日の聖書から今を生きる私たちに神さまが求めている事は何でしょうか。自分達の正しさを主張し、平和が崩れようとする時代に、自らの信仰を向き直り、神さまの正しさを知り、神さまの愛を信じて生きる「訓練の時」なのかもしれません。「神さま、どうしてこのような事が起こるのですか」という問いかけの中で、しかしそのような困難な時にこそ、主に神さまの繋がりを思い、神が共にいてくださると信じることが、平和への道だとう思うのです。

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