2025年10月12日(日)のメッセージ
イエスの変容
(聞き、そして従う)
「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』」
(マルコによる福音書 9章7節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
いよいよ、十字架の時が示され、主イエスの姿が、神の子としての栄光に光り輝いたということを、弟子たちに明らかに示された場面です。ただ正直まるで訳が分からない怪奇現象のような出来事のように思います。タイトルの「変容」と言う言葉は、ギリシャ語ではメタモルフォーゼの語源になった言葉で、単なる外面の「変化」ではなく、蝶々が青虫からさなぎになって 飛び立っていくように、内なる質が変わっていくことを現わしています。つまり、「人の子」として生まれた イエス・キリストが「神の子」の性質に戻るというような神の子としてのイエスに変化する出来事だと言えるでしょう。
しかし今日のポイントは、この光輝くお姿を見ることができたのは、ペトロの他に、ヤコブとヨハネという3人の弟子たちだけでした。なぜこの3人だけなのか。しかし、彼らはゲッセマネで、そんな大切な時でも、うとうとと眠ってしまい「わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」と、イエスさまにいさめられた人物達です。
私たちもよくいつも緊張して働いていても、肝心な時に疲れてウトウトして、大切なものを見失ってしまう…。このように、わたしたちの肉体とは、心でどんなに強い思いを持っていたとしても、誘惑に弱い、肉体は弱いということなのです。
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
(マタイによる福音書 26:41)
「目を覚ましていなさい」と主は語ります。イエスさまはとりなして頂いていますが、私たちはそれに甘んじず、全てうまくいっていても神さまと祈りの場を離れてはならない。だから祈らなくてはならないのです。そのことによって、神さまの声を聞き、従うという信仰こそ、わたしたちに求められているのです。様々なことがある私たちのすべてを主に委ねて、今週も礼拝とみことばからスタートしましょう!