2025年11月2日(日)のメッセージ
幼児祝福式
「心の扉を開いて」
「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」
(マルコによる福音書 7章28節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
今日は幼児祝福式です。子どもたちが主役になる日です。イエスさまは子どもを呼び寄せて、彼らが大切な存在であると人々に示しました。当時は女性や異邦人は社会的差別を受けていたり、子どもも十分な権利を持っていませんでした。小さくされた者の痛みに主は寄り添ってくださる方なのです。
一方それまでの弟子達は、「自分が1番になりたい」、「イエスさまに聞いてほしい」思いが人一倍強くて、それを訴えましたが、目の前の小さな存在に気づかずに、心の扉を開いたり閉じたり、そこからいくら叫んでいても、自分の力では神さまには「声」が届きません。自分だけではなく、神と隣人を愛する生き方に変えられた時、「信仰の声」を神さまは聞いてくださいます。
今日の箇所でも、「パン屑でいいからもらいたい」というような切実な思いで自分のもとへやってきていることを知った、そういう大変さを抱えていることを知ったからこそ、イエスさまはこの女の人の願いを真剣に聞いたのです。この女の人の信仰が深かったからとかいうことよりも、そこまで願うほどの大変さ、苦しみを感じて、イエスさまは追い返すことも無視することもできなかったということなのでしょう。
祈れば聞いてくれるなんてとても言えない、そんなあつい信仰も無い、自分や子どものために、でもパン屑でいいから欲しい、どうか助けて欲しい、そう言うしか無い、そんな現実の苦しみの中にある私たちを「イエスさまの眼差し」は暖かく見つめてくれている、そんな私たちをイエスさまは憐れんでくれる、今日の聖書はそのことを伝えてくれているように思います。


