2026年2月22日(日)のメッセージ
やもめの献金
―主に明け渡す信仰
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。」
(マルコによる福音書 12章43節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
先週は逗子第一バプテスト教会との交換講壇でしたが、両教会の礼拝が豊かになり励まし合う時となったのではないでしょうか。礼拝後は小平先生を囲んで良い交わりの時になったと伺っています。交換講壇は単に牧師同士が変わり説教をするのではなく、1つの教会だけでなく、協力伝道に連なるお互いの教会同士の結びつきや信仰の関係性を深める時でもあります。今回、逗子第一教会の課題も知り共に祈りながら、しかし、「教会学校」の分かち合い、「礼拝」を通してキリストが逗子第一教会にもおられたことを実感しました。皆さん日々の生活の中で、自然と普段からキリスト(御言葉)を言葉にし、共に礼拝を捧げる礼拝共同体の空間がありました。
今日の聖書では、そんな私達の姿として、「やもめ」がキリストに出会い、応答する場面です。当時社会的にも差別されていたやもめが、神殿の献金箱に人々が沢山の献金をする中で、1人の貧しいやもめがレプタ銅貨2枚(現在の日本の物価に換算すると百円程度)を献金しました。イエス様は弟子たちを呼び寄せ、このやもめについて「誰よりも多く献金した」と断言しました。その理由は、他の人々が有り余る中から献金したのに対し、このやもめは自分の生活費のすべて、つまり持っているすべての物を捧げたからです。私達も先に自分達の生活費から、余った分を献金に捧げていないでしょうか。
出身教会の牧師から、よく献金は「初穂」から出すのが大切だと教わりました。初穂というのは、その年に畑で収穫される最初の実り、その年に最初に収穫されたものです。神さまへの恵みの応答です。大切なのは献金額の多少(量や数)ではなく、「残り物」から出すのでもなく、その人が神に信頼し、持っている「最善の物」(神さまの恵み)からすべてを差し出す「心」だったのです。
私達は何をもって「喜び」にするのでしょうか。私たちももっと「キリスト」によって豊かになるために、「隣人」と喜ぶために主に導かれつつ、やもめの献金のように心から主に「自らを捧げる」。あなたが自身が大切な神さまの「初穂」になることを主は望んでおられます。


