2026年3月1日(日)のメッセージ
最後の晩餐、最初の晩餐
「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
(ルカによる福音書 22章19節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
キリストが十字架にかかる前に12弟子と最後の食事をしたことで知られる有名な「最後の晩餐」。イエスはパンを「自分の体」、葡萄酒を「自分の血」として弟子たちに与え、「これをわたしの記念として行え」と命じたとされますが、大切なことは、現代の私たちも罪ある者ですが、私たちの教会では月の第一の日曜日に「主の晩餐式」を執り行っていますが、イエスさまがこの食事をご自分の「記念」としてずっと行ってほしいと願われたこと、そしてそれを私たちは、時代や国境を超えて「受け続ける」ということです。感謝して共に恵みを「受ける」のです。
最後の晩餐には、ユダやペテロだけではなく「弟子の全員」が裏切り者となりました。お互いが一番として、疑い、嫉妬して、仲間内でミスや失敗を責めて自分は責任がないと逃げて自分の十字架を背負うことが出来なかった訳です。しかし、そのような状態だから、主の晩餐の洗足では、12人の弟子達(ユダでさえも)を自身の手を持って1人1人の足を洗われました。それはまったく「愛の業」でした。私たちも互いに人の足を洗う心で仕える時、他人を責めるのではなく、それを赦し、洗い流す心、これこそキリストに似せられた姿ではないでしょうか。足を洗われるキリストには、人を赦す寛容な、人に仕える姿がありました。そして私たちの罪のために、十字架の贖いによって私たちの罪は赦されて、主の新しい命を生きる道が与えられました。
「最後の晩餐、最初の晩餐」(タイトル)。今日もキリストが共にいる約束を記念して、2000年前の主の晩餐の出来事を通して感謝しましょう。イエスさまの救い、その十字架の贖いを示すパンと杯に与るその出来事を持って、私たち自身も新たにされて、キリストの姿に倣いつつ、そして私も、あなたも教会も、新しい2026年度を歩み始めたいと思います。


