2026年3月8日(日)のメッセージ
東日本大震災を覚える礼拝
「主がご入用なのです」
「イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
(ルカによる福音書 19章40節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
「公平」であるということは、本当に難しい事だと思います。教会は公平であるべきですし、小さくされた方が守られるそのような場所であるとは言いますが、震災支援の例話でもありましたが、実は私たち人間はなるべく公平な「基準」を作ろうと努力します。自分達ではそれは本当に、いつも不公平な「基準」であると思うのです。自分達の「都合」や「常識」で判断してしまう可能性があるからです。そしてその問いを受けるごとに、いつも何が公平なのだろうか、わからなくなるのです。
今日の聖書は有名な「エルサレム入城」です。主のご受難の「象徴的な場面」です。それは「過越際」が始まろうとしている春の日の出来事でした。最初の日は日曜日で、イエスさまは子ロバの背に揺られながら、エルサレムに入られました。同時に、ろばの子は「奉仕の象徴」でもあります。「経験のないもの」として、「子ろば」は「私たち」を表しています。「こんな自分がイエスさまを乗せるなんてできない」と、最初から辞退してしまうかもしれません。でも主は、そういうできない人をまっさらな人を「選ばれた」のです。
「主がご入用です」(タイトル)つまり、「主が」私たちを創られ、主が私たちを選ばれ、主が私たちを用いられます。私たちは、その「主」のもとに生きる者です。「私が何であるか」、それを知った時、「私らしく神さまに仕える」ことができます。私たちは無力で小さく、貧しくされ、公平でなく、叫ぶこともあるかもしれません。しかし主は忘れません。そして、私ではなく、キリストを心に迎え仕える人生に変えられた時、あなたは本当の意味で「主のもの」となるのです!その時、神の国の真の公平を知るのです!


