2026年6月7日(日)のメッセージ
イエスの名によって
「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
(使徒言行録 3章6節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
伝道を始めたある日、いつものように祈りを捧げようと門を通りかかったペトロとヨハネは「美しい門」でこの足の不自由な男と出会います。そこで、ペトロはこの男に「イエスの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6)と言いました。つまり、イエス・キリストご自身と共に、立ち上がり、歩く事を意味します。イエス・キリストの道を一緒に歩くことで、キリストが共におられ、神が自分のうちに生きて働いているのです。男は足が不自由で社会的にも差別され孤独の中で自分の力で歩んできましたが、弱さの中に主の恵みによって「立ち上がる」のです。
話しは変わりますが、私は牧師になって感じるのは、人の「歩み」の中に「神さまの働き」を見ます。例えば葬儀を何度かさせて頂いた時は、召された方の歩みを「振り返る時」でもあります。多くの場合、葬儀のプログラムの中に「故人略歴」を入れます。その方がいつ生まれたか、どんな人生の歩みを送ったか、いつ、どのように教会に導かれたか、いつバプテスマを受けたか、そしていつ召されたか。そのようなことが記された故人略歴を作ります。ある牧師は、故人略歴が出来上がると、もう葬儀で語るべき言葉が与えられたと言います。その方がどのように神さまに生かされてきたかが分かるからです。神さまに導かれた歩みは、調和のとれた「美しさ」があります。私も葬儀の際にはつくづくそう思わされます。人生の様々な荒野をさまよいながらも、キリストと出会い、バプテスマを受けた私達は、美しい門であるキリストを通る事を通して、永遠の命を与えられます。これこそ、調和のとれた、とても美しい「歩み」です。
教会の私たちは皆、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩む者です。一人でも多くの方や教会員のご家族関係者が、この「喜びの歩み」を共にしていく事を願います。門を広げる藤沢教会のこれからの伝道の業の広がりと祝福を改めて祈ります。


