2026年7月26日(日)のメッセージ
信仰の先人 渡部瞭さんのこと
「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
(ヘブライ人への手紙 11章1節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
三浦佳江 執事
ご存知の通り、故渡部瞭さんは渡部かほりさんのお連れ合いです。私がバプテスマを受けたのは1993年12月19日ですので、渡部瞭さんが召天するまで約18年半のお付き合いでした。生前の渡部瞭さんは新会堂建築を早くから訴えていました。渡部瞭さんの頭の中には新会堂の外観から内装までのイメージがしっかりありました。またご自身は将来新会堂の会堂守(会堂の管理人)になるのだと語っていました。しかし新会堂建築に踏み出すには時間がかかりました。何しろ神殿建築同様に神様に関する一大プロジェクトですから。渡部瞭さんの新会堂建築の提案はすぐには承認されず、大方がまだ早いという空気の中でも渡部瞭さんはトーンダウンすることなく提案を繰り返していたと記憶しています。今はまだその時ではないけれど、いつかは新会堂建築に歩み出す時が来ることを信じてその時を待ちながら新会堂建築を訴えていたのだろうと思います。そんな渡部瞭さんを見て素敵だと思いました。まさに中心聖句の「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」を地で行っているような方でした。
その後新会堂建築が開始され、2013年8月4日に初めて教会員が会堂に入る入堂式の恵みを神様は与えてくださいました。渡部かほりさんは瞭さんの写真を胸に携えて新会堂に入りました。神様は神の時に新会堂を与えてくださいましたが、渡部瞭さんを待ってはくれませんでした。彼は生きているうちに新会堂を見ることはできませんでした。人間の目から見ると神様は時々皮肉なことを行うものだと思います。しかしそこに神様の御心が潜んでいるのでしょう。そして、その御心を問う事がすなわち私たちが神様と繋がる行為そのものなのでしょう。


