メッセージ

2026年8月30日(日)のメッセージ

とりはらわれた壁

「わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
(使徒言行録‬ ‭11‬章17節‬:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

私たちは日常で「どうしても苦だ」「関わりたくない」と自分の中に決めてしまっている「思い込み」はないでしょうか。たとえば、小さな子どもが「この野菜、見た目が嫌だから絶対に食べない!」と思い込んでいる場面を想像してみてください。周りの大人が「一度食べてごらん、すごくおいしくて体にいいんだよ」と勧めても、自分自身の先入観が邪魔をしてなかなか一口が出ません。しかし、勇気を出して口にしてみると、自分の世界がパッと広がり「なんだ、食わず嫌いだったんだ」と気づくことがあります。

今日の聖書でペトロにとっても、割礼をしない異邦人は長年の「食わず嫌い」のように遠ざけていた存在でした。しかし、神さまの言葉によって自分の「思い込み」の枠組みを壊されたペトロは、こう語ります。

「神がなさることを、どうして私が妨げることができたでしょうか」(17節)このペトロの言葉によって、人々の心にあった「差別」という壁が崩れていきました。つまりこの事が表すのは、神さまは「もっと多くの人を救いたい、癒したい、自由にしてあげたい」と心から望んでおられることではないでしょうか。

エルサレムの人々は、神さまによって変えられたペトロのこの言葉を、素直にそのまま受け入れました。だからこそ、異邦人に対する考え方がガラリと変わり、隔てていた壁を取り払うことができたのです。わたしたちの心にも沢山の壁が積み上げられていますが、イエスさまの十字架はそれを壊して関係性を

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