2026年10月11日(日)のメッセージ
週の初めの出来事
「騒ぐな。まだ生きている。」
(使徒言行録 20章10節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
私たちは日々の生活のふとした瞬間、思いがけない事故や災害、将来への不安に心が揺さぶられ、「騒いで」しまいがちです。週末が近づくにつれ日常の忙しさに追われ、心休まらないまま主日を迎えてしまうこともあるかもしれません。いくら口では信仰を語っていても、いざという大切な時に動転し、肝心な時に眠り込んでしまう――それは、かつての弟子たちの姿であり、今の私たちの姿でもあります。今日の聖書で使徒パウロの説教中にエウディコという青年が眠りこけて、3階の窓地面に落ちて死んでしまうのは象徴的な出来事です。
「信仰、希望、愛、この三つは、これから先も残る。その中で最も大いなるものは愛である」(Ⅰコリント13:13)。神の真実な愛を知ってはじめて、私たちは動揺の中にしっかりと踏みとどまる信仰と、前を向く「希望」を持つことができます。キリストの愛に捕らえられたパウロもまた、数々の命の危険に晒されながらも、神の前で「目を覚まし」「騒がず」に立ち向かうことができました。
キリスト教のカレンダーが日曜日(週の初め)から始まる事には、深い恵みの意味があります。世の中の週の終わりとして礼拝があるのではなく、私達はまず週の初めにキリストが復活なされた日に、主の備えられた礼拝の食卓に着き、復活の命を受け取るのです。
たとえ人生にどのような嵐が吹き荒れようとも、まず主の愛と平安で満たされてから一週間を出発する。この「神の愛に基づいた信仰」に立つとき、私たちはどんな事態の中でもパニックに陥ることなく、静かに「目を覚まし」「騒がない」天からの平安をいただくことができるのです。今週も、主の愛にしっかりと根ざし、心に平安を抱いて歩んでまいりましょう。


